imo-tarou’s blog

頭に浮かんだことを書き散らしています。食べて飲んで寝て走ってます。

願いごと (2)

ー 神様が、不老不死、いかなる病気にもならないし、いかなる怪我もしない身体をくれるという・・・

 

でもそれってよく考えてみると、ヤバいですよね。とんでもなく遠い将来、人類が一人残らず滅亡しても、僕だけが完璧な五体満足で生き残ってるんですよね。不老不死でなおかつ絶対病気もしないし、どんな目にあっても絶対怪我もしないわけだから。一人生き残って永遠に生きてるって寂し過ぎる・・・。

絶対に死なない、死ねないってことですもんね。

 

《まあ、そういうことになるわな》

 

えー!さらに、地球だっていつかは消滅するわけですよね。どんな感じで消滅するか専門的なことはわからないですけど、仮に大爆発を起こして消滅しちゃうとしても、それでも僕は死なないのはおろか、怪我もしないわけですよね。地球がなくなって宇宙に放り出されても。

絶対死なないわけだから、酸素がなかろうが、過酷な宇宙空間だろうが五体満足で生きてるわけですよね。

もしかして、死なないし五体満足だけど、酸素がない苦しさは感じるんですかね?

 

《まあ、感じるじゃろうの》

 

えーっ!じゃあ酸素がない苦しさは感じながら永遠に生き続けるってことですか?

でもいかなる病気にもならないってことは、精神的な病気にもならないってことですよね。絶対、心も病まないってことですよね。

ということは、精神的に病まないってことは、苦しさはあるけど、次第に慣れちゃうというか、受け入れちゃうというか、そういうことなような気もしますね。

多分精神的に病むって、すごく簡単に言うと苦しさを受け入れられない、受けとめきれない、耐えきれないってことで、なっちゃうような気もするんで、絶対病まないってことは、苦しさはずっとあるけど、平然としていられるってことになりますかね?

まあ、それならいいのか・・・?

永遠にたった一人の寂しさも、精神的には病まないから、寂しさはあるけどまあ大丈夫ってことになるのか?、うーん、なんだかよく分からなくなってきましたね。

精神的には絶対病まないけど苦しさも寂しさもずっとある、病まないけど、病むギリギリのラインまでの苦しさや寂しさはずっとあるってことかな?

死なない、病気にもならないから何も飲み食いしなくてもいいんでしょうけど、空腹感とか喉がかわいた感はずっとありますよね。死なないし病気しないから大丈夫なんだけど。これも、病むギリギリのラインで感じ続ける?

そもそも永遠に酸素がないとか何も食べられないとかの苦しさって、受け入れて平然としていられるようになれるんですかね?そんな能力、人間にあるんですかね?

もしかして激烈な苦しさはあり続けるけど精神的には病まないってこと?でも病まないってことは受け入れることが出来たってわけで、激烈さは減るような気もするけど・・・でも酸素がないとかのレベルの苦しさだと、病まないギリギリラインで受け入れた瞬間また激烈な苦しさが病まないギリギリラインまで戻ってっていうことの繰り返しみたいな感じ?それだとやっぱり病まないギリギリラインの苦しさはずっと感じ続けるってこと?

・・・・・それってもう意味わからんというか・・・・・

あーっ、もうよく分かんない!

だいたいその精神的なラインってどこ?病まないけどストレスはあり続けるってこと?じゃあ今と同じじゃね?

だいたい精神的に病むってそもそもどういうこと?今の僕は精神的に病んでいないって断言できるんでしょうかね?

精神的に絶対病まない、イコールいついかなる時も常に気分爽快ってことですかね。

・・・・・・・なんだかよく分からなくなってきましたね。

最初、それってヤバい、って感じたのも精神的に病む可能性のある今の僕が感じたというか考えたことだから、

不老不死絶対いかなる病気にもならない精神的な病気にもならない絶対いかなる怪我もしない状態

になったら感じ方も違うのかなー、うーん。

あっ!そもそも僕は気持ちよくランニングがしたかっただけで、宇宙空間に放り出されたらどこ走ればいいんですか?

 

《は?さんざん考えてそこかいっ!》

 

フワフワ宇宙空間を漂ってたら走れないじゃないですかっ!

 

《・・・・》

 

(続く、多分)

やはり膝が痛い(T_T)

5㎞のレースに出てきました。足で走るレースです。ランニングです。

私はキロ5分で走るのが精一杯の鈍足ランナーなので、記録はちょうど25分くらいでした。

やはりまだ右膝の外側が痛くなるんですよねー。

今、ハリの治療をしているのですが、治療院の先生によると、

日常は問題ないし走ることも出来るが、走り始めて30分くらいすると痛くなるということを繰り返す状態、

は腸脛靭帯炎が慢性化しているとのことで私はピッタリ当てはまります(泣)。

 

走ることにハマって、いつかフルマラソン走るぞー、と着々と普段走る距離を伸ばしていって、ハーフマラソンの距離くらいはノンストップで走ることができるようになりました。

よーし、まずは10㎞のレースに出て、次はハーフマラソン走って、フルマラソンに挑戦だー!

と思い10㎞のレースに出てみました。自分としてはまずまずのタイムで満足していたのですがその数日後、走っていたら「奴」がやってきたのです。腸脛靭帯炎の奴が。

 

それがもうかれこれ2年前くらいでしょうか。その後は、ちょっと走ったら痛くなったり、15㎞くらいは痛みなしで走れることがあったり、の繰り返しです!

 

腸脛靭帯炎の奴もしつこいやっちゃなー。もうお友達感覚で、腸脛くんと私は呼んでいます。また腸脛くんが来たよーって(泣笑)。

こっちはお友達なんかになりたくないのですが、なぜか向こうは私にしっかりなついてしまったのでしょうか(T_T)、しょっちゅう連絡もなくやってきます。

しつこい腸脛くんのお陰で、ハーフマラソンもまだ走れずにいます。

 

これまでハリやマッサージや整形外科などに行ってはいたのですが根本的には変わらず、今の治療院に行き着いたのですが、そこの先生は「走るのしばらく休んで」とは言わず、「走りながら治しましょう」とおっしゃってくれました。ストレッチの方法なども教えてくれました。

先生もランナーでした。

なんかその言葉に勇気をもらい、もういい加減モチベーションが落ち気味な最近でしたが、「諦めんぞー、このやろう」ということで、まだしつこくチョロチョロ走ってます。しかしいっこうに速くなりませんが(T_T) 。でもしつこくネチネチ(?)やっていこうと思います。

 

しかし、何故に飽きっぽい私がここまでやるのか、いっこうに上達しないのに、ランニングの何がそこまでさせるのか、人はなぜ走るのか、そこに道があるから・・・?

これもまた考えてみたいテーマですね。

 

腸脛くん、もうさよならしようよ、君はもう私がいなくても一人でやっていけるから、ね、ね、大丈夫だから、ね、だから私から離れて一人立ちしなさい!!

 

どっちだっていい。何だっていい。

結局それは言葉でしかない。

結局、今ここしかない。

言葉に振り回されないように。

頭は放っておいても勝手にくるくる回り続ける。

言葉は方向でしかないし、サインでしかないし、兆候でしかないし。

身体を使おう。

意味は後付けでしかないし。

前向き、後ろ向き、どっちだっていい。

イメージや色合いに騙されないようにしよう。

自分を騙そうとしているのは結局自分だということに気付こう。

行動しているのか、していないのか、どっちだっていい。行動していない瞬間なんて存在していないことに気付こう。

良い、悪い、優しい、冷たい、頑張っている、頑張っていない、強い、弱い、どっちだっていい。何だっていい。

信頼、不信、一生懸命、怠惰、どっちだっていいし、何だっていい。

人の言葉も自分の言葉も、何だっていい。

感じるままに?感じたことも、ただ感じたことでしかないし。

人生?生活?目標?目的?

言葉は必要なツールではあるけど、虚しいものであることも忘れないようにしよう。

言葉の海で溺れないように。

言葉の海での呼吸の仕方を身につけないと。

言葉を突き抜けたその先にあるものはなんだろうか。

もういい、やめておこう。

何だっていい。「頭くるくる」に巻き込まれたらなるべく早く、巻き込まれていることに気付こう。

何かあるのか、ないのか、どっちだっていい。

何かは多分ある。その何かを「知る」「理解する」「実感する」ことは多分難しいのではないだろうか。

そっちの方向に向かっていくことは出来るのかもしれない、多分。

耳をすまして、嗅覚を働かせよう。そのやり方が身についていないことを自覚しよう。

成功、失敗、勝ち、負け、どっちだっていい。

戦う、逃げる、どっちだっていい。

溺れないようにしよう。くぐり抜けていこう。前に進んでいるのか、後ろに進んでいるのか、どっちだっていいから。

劇場版 おいしい給食 卒業

まだ見ていなかった、「劇場版 おいしい給食 卒業」を見ました。

 

素晴らしい!!

期待に違わぬ傑作ですね(どんだけ私は「おいしい給食」が好きなんだ😅)。

 

サブスクでよく映画を見ますが、最近はどれも同じように見えてくるというか、途中で飽きてしまって最後まで観ないことが多いなか(私の感性の方の問題です・・・)、久しぶりに最後まで楽しめました。

相変わらず、主演 市原隼人さんの突き抜けぶりが素晴らしい!!っていうか回を重ねる程に極まって来てます。すごい俳優さんですね。

宗方先生もまた魅力的ですね。あの女優さんの優しい雰囲気に癒されます。

 

「給食はもっとデタラメでいい」

名台詞ですね。

 

もっとデタラメでいいんじゃないでしょうか?色々と。正しさやこうあるべきとか、論理や整合性などばかりに気をとられ過ぎると本質から遠ざかってしまうことがあると「おいしい給食」は教えてくれました(そんなに大袈裟な内容か?)。

「色々考え過ぎて生命力が削がれてないか?もっとバーッ!と行け、バーッ!と」と言われてるような気がしました。特に私はウジウジと考え過ぎるタイプなもので😅

 

人間の作為で整理しきれるものばかりじゃないと。整理しきれないものは、無理やり整理しないで放っておけと。ドーンと手放せと。

 

そんなメッセージが込められてるんじゃないでしょうか(は?)。

 

オススメです!!!

泣きのギター

「ギターが泣く」、「ギターが歌う」という表現があります。あたかもギターが泣いているかのような、歌っているかのような、情感豊かな演奏のことを表しています。「ギターを歌わせる」といった表現もあります。

 

私は音楽が好きです。一時期は、のめりこんでいたとも言えるくらいでした。

ただ、今となってはそれほどの熱量はなくなっています。年をとった、時間がない、興味が他に移った、感性が鈍った、鈍感になった、おっさんになった、オヤジになった(同じだろ)、加齢臭もしてきた、枕が臭くなった、でも自分の枕の臭いは自分としては好き、などなど色々な理由があるのだと思います(は?)。

CDをせっせと買ったり、音楽雑誌を熟読したり、ライブに行ったり、ということをしなくなって久しいです。

 

私が好きな音楽はロックです。ロッケンロール!、ロックンロール!です。

 

そういえば、洋画なんか見ていると、勢いよく「行けー!」「かかれー!」「やるぞー!」「始めるぞ!」「行くぞ!」みたいな時に英語の俗語で「rock'n roll!」って言ってますよね(意味あってますかね)。あれ面白いですね。

 

・・・話しがそれましたが。

 

いや、その音楽はロックではない、そのバンドはロックンロールじゃない、とかマニアの間ではジャンル分けに厳密なルールがあるのかもしれませんが、ま、そういう細かいことは置いといて、私はロックが好きなのです。「ロックンロール」という語感、なんかいいですよね。

 

で、「泣きのギター」です。私の中での「泣きのギター」3大ギタリストは、

・マイケル シェンカー

・RIOTのマーク リアリ(最初の頃、マーク リールって表記されてましたよね)

・OUTRAGEの阿部洋介さん

 

なんか書きながら、「こんな文章誰が読むねん」、「お前の中の泣きのギター3大ギタリストなんか知るかー!」、「そんな情報どうでもいいわー!」という声が聞こえてきます。頭の中のいつものアイツです。よく聞こえてきます。まあ、無視です😁

 

私、元々メタルから入ったのです、音楽に。ヘヴィメタルです。当時は「ヘビメタって言うな!、ヘヴィメタルって言え!」って言ってました(分かる人には、分かると思うのですが😅)。

「BURRN!」も熟読してました。毎月発売日が待ち遠しかったなあ。まだ今も本屋で見かけますが、長寿雑誌ですね。

 

同じ趣味の友達と良く語りあってました。「こんなのはヘヴィメタルじゃない!」、「軟弱だ!」、「ポップ過ぎる!」なんて(今思えば排他的ですね😅)。

 

メタルとの出会いは偶然でした。

 

それまでも音楽は聴いていましたが、BOΦWYとかバービーボーイズとかだったかなあ、ちょっと時期がずれてるかもしれません。よく覚えていないくらいなので、やはりそれほど熱心ではなかったんですね。

 

ある日、友達のH君に頼まれました。H君は教室で席が後ろでした。「このCD、テープにダビングしてくんない? 俺んち出来ないんだよ。お前んち出来るだろ」

その時、H君の家ではそういう機材がなかったのか壊れていたのか覚えていませんが、そんな頼みごとをされ1枚のCDと空のカセットテープを受け取りました(そんな時代です、なつかしー😄)。

「いいよ」私の家にはKENWOODのダブルデッキのステレオがあったのです!(いや、そんな大したものじゃないですが)

そのCDのジャケットは全体的に赤だがオレンジだかの色で、十字架がたくさん並んでいてなんかオドロオドロしい感じでした。

 

家に帰って、ダビングするためにCDとテープをおもむろにステレオにセットしてワンタッチダビングボタンを押しました。CDとテープが同時に回り始めました。

なんか悲しげなアコースティックギターが流れ始めたのですが、ボリュームが小さめだったのでアコギの静かな雰囲気に油断して無造作にボリュームを上げました。

 

その直後「ドーン!!!」

 

アコギの音からいきなり歪んだギターの音に変わりました。なんの予兆もなくいきなり。私の耳には「ドーン!!!」って聞こえました。ビックリしました。無造作にボリュームを上げていたのでなおさらです。

 

METTALICAの「MASTER  OF  PUPPETS」でした。

 

慌ててボリュームを下げました。

 

それからH君の手ほどきを受け、見事、メタル街道まっしぐらです。

H君は「ポップな音楽なんて音楽じゃない!」的なゴリゴリ趣味だったので、私ももろに影響を受けたのでした。

今考えると、私の人生の中で意外と大きな転換点だったような気もします。

 

泣きのギターの話しでした。話しがよくそれますね・・・すみません😅

 

マイケル シェンカーはやっぱりUFO時代のライブ「STRANGERS  IN  THE  NIGHT」ですね。ライブでもギターが生々しく泣きまくってますね。あのチョーキングとビブラートがたまりませんね。メタルにはまってギターもやり始めた私は、マイケル シェンカーに出会い師匠とさせて頂きました(いっこうにうまくなりませんでしたが😢)。あの振幅の大きいビブラートを一生懸命マネしました。

 

RIOTは「THUNDERSTEEL」ですね。RIOTは、初めてライブを見に行ったメタルバンドです。確かRIOT自体、初来日だったと思います。会場はクラブチッタ川崎です(まだあるんですかね)。チケットを取るために学校サボって、朝早くからチケットぴあに並んだのを覚えています。なつかしー!

マーク リアリはギターのフレーズがカッコよかったですね。なんというかロックギターの王道的な、オーソドックス的な感じや、人間味というかぬくもりというか「手で弾いてる(当たり前ですが)」感というか。手くせで自在に弾きまくってる感がありますよね(全てあくまで私の印象ですが)。

 

OUTRAGEも無茶苦茶カッコいいですよね。「THE  FINAL  DAY」あたりまでしかしっかり聴いていませんが、なんか印象深く残ってます。「THE  GREAT  BLUE」の蛍の光のメロディーを使ったギターソロなんて、ゾクゾクするくらい泣きまくってますね。マイケル シェンカー以上じゃないでしょうか。OUTRAGEは、あの怒涛のスラッシュチューンに泣きのギターが絡むスタイルが素晴らしいです!

 

なんかマニアックで時代遅れの思い出話になってますが、そもそも何で私はこんなことを書き始めたんでしょうか・・・・すみません、酔った勢いです😅

しかも酔った勢いで前半書いて、後日シラフで後半書いているので、なんかだんだん失速しているような文章ですね。

 

失礼いたしました😅

願いごと(1)

《これ、そこのお前さんよ》

 

へ? 僕ですか?

 

《そうじゃ。お前さんじゃ》

 

はー、なんですか?何かご用ですか?

 

《わしゃあ、神様じゃ。なんでも一つだけ願いをかなえてやろう》

 

えー、ホントですか?

 

《本当じゃ。なんでも良い。何か一つ願いごとを言ってみなさい》

 

えー、じゃあ、うーん、なんだろう、一つですよね、う〜ん、そうだなあ、えーと。

 

《ほれ、言ってみなさい。なんじゃ》

 

えーと、う〜ん。

 

《ほれ、ほれ。なんじゃ。何かあるだろう。ほれほれ》

 

うーん、そうですねえ。

 

《なんじゃ、ないのか?》

 

いや、ありますよ。いくつでもありますよ。僕、欲望の権化みたいなもんですから。欲望が服着て歩いてるみたいなもんですからね。でも一つだけですよね。

 

《そうじゃ。一つだけじゃ》

 

うーん、一つだけか。なんか選べないんですよね。

 

《なんじゃ、はっきりしない奴じゃな。何か困ってることとかないのか?》

 

そうですねえ。僕、走るのが好きなんですけど、右膝の調子が悪くて、ちょっと走ったらすぐ痛くなるんですよね。もっと走りたいんですけど、思うように走れないんですよ。

 

《じゃあ、その右膝を治してやろう》

 

そうですねえ。でも、一回治ってもまた繰り返すかもしれないですしね。あ、じゃあ、どれだけ走っても絶対怪我しない身体がいいな。右膝に限らず、絶対にどこも故障しない身体。

 

《よし、それをあげよう》

 

でもちょっと待って下さい。それって、ランニングに関係してなくてもいいんですか?例えば、階段から落ちたとか、交通事故にあったとかでも身体は怪我しないってことになりますか?

ランニングに関係した怪我が全くなくなっても、他のことで大怪我したら走れなくなっちゃいますよね。明日いきなり交通事故にあうかもしれないし。

 

《じゃあ、絶対いかなることでも怪我しない身体ということじゃな》

 

それ、ありですか?

いかなることでもってことは例えば上空3千メートルから落ちたり、頭の上で核爆弾が爆発しても身体は怪我しないってことですよね。

怪我しなくても、放射能の影響はどうなんですか?それも怪我のうちに入ります?

 

《え?うーん。ま、それは入らんかなー》

 

じゃあ放射能の影響で癌になったりするのは入らないってことですか?

だいたい、怪我と病気の違いってどこで線引きするんですか?放射能とかウイルスとか細菌とかジャンクフードのバカ食いとかのせいで、細胞とかそういうレベルで傷つけられたなんてことも言えないですかね。交通事故も、車がぶつかってきて身体を傷つけられたってことですよね。

目に見えるレベルか、目に見えないレベルかの違いじゃないですか?

 

《いや、それはじゃな・・・(いちいちめんどくさい奴だな)、じゃあ病気も入ることにしよう》

 

じゃあ、いかなる怪我も病気もしない身体ってことですよね。それって不死ってことになるんですかね。

 

《いや、年はとるぞ、老化もして寿命が来たら死ぬがの》

 

ふーん、でも老化して寿命で死ぬっていうのも、ゆっくりとですが、時間の経過でダメージが募っていったり回復する力自体もそれで落ちていったりってことで、外的要因からの影響ってことにならないんですか?交通事故で言うと車っていう外的要因があるのと同じで。重力とか日光だってダメージの外的要因かもしれないですよね、長い目で見ると。詳しくは知らないですけど。神様は全知全能だから、その辺のこともお詳しいですよね。

 

《え、いや、まあ。えーい!じゃあ不老不死でええじゃろが。それをやろう》

 

不老不死ですか?怪我も病気もしないっていうのとセットですかね。怪我もしないってことは、ある意味、鋼鉄の身体ってことですよね。例えばなんかものすごい工業的重機とかに誤ってはさまれたりなんかしてもびくともしないってことですよね。

 

《ま、そういうことじゃな。さらに不老不死。病気にもならん。どうじゃ、すごいじゃろう》

 

でも、そんな身体になったら、思う存分走りたいとか言っててもなんかしょうがないような。なんか他のことに役立てた方がいいような・・・僕はただ、気持ち良くランニングを楽しみたいだけだったんですけどね、うーん。

 

《・・・・・》

ビールのおつまみ

今日は、私、imo-tarou(i)はmame-tarou君(m)と飲んでいます。

 

i:ビールうまい!ねえ、豆太郎君、ビールのつまみで何が好き?

m:やっぱりポテチだろ。あの塩っ気とカリカリ感。食べ出したら絶対止まんないよね。BIG PACK 195gだってひたすら食っちゃうよ。カロリーも塩分も知ったこっちゃねーって感じだよね。

i:ねえー。ポテトフライもたまんないよね。なんであんなに止まらなくなっちゃうんだろうね。ケチャップなんかつけたらもうヤバいね。

m:芋、最強だね。

i:唐揚げもいいね。ビールと唐揚げって、もうこれ以上何もいらないって感じ。ビールと唐揚げを腹パンパンになるくらいひたすら飲み食いしてみたい!

m:枝豆も底無しだね。握力がなくなるくらいひたすら口に押し出したいね。

i:フィッシュフライにタルタルもたまんないね。タルタルソースって誰が考えたんだろうね。天才だね。

m:ねえー。豚の角煮とか、何だっけ、あ、ラフテーなんかも、もートロトロの味染み、うー、震えが来る!

i:うわぁ、いいねえ。だし巻き玉子も味染みじゃない?ほんとは分け合いたくないんだよねえ。一人で丸ごと食べたい!

m:そうだよね。焼き鳥なんかもチビチビ、バラじゃなくてガツッと一人で食らいつきたい!刺身の盛り合わせも一皿丸ごとさらいたいよ。

i:ハハハ、分かるし。あと何気にシシャモなんかも僕は好きだね。あれもガバガバ食べてみたい!

m:ねえー。俺も基本、飲めば飲むほど腹減ってくるんだよね。だから飲み会終わったあと、いつも食い足りねーって思って、帰りにコンビニでポテチと菓子パンのつぶあんマーガリンとか買って家でがっついちゃうんだよね。

i:分かる!カップ麺とかも食っちゃうね。でも食った直後に腹パンパンになって食いすぎで苦しむってやつだね。

m:ホント、ビール飲んでうまいもの食うって最高だね!ビールって誰が考えたんだろ。天才だな。