「弱い」、語感から感じてみます。「よわい」、なんか弱い感じがします。
「私は弱いなあ」と感じることがよくあります。
フィジカル のことだとしたら分かりやすいのですが。
言葉? 言葉で考えてもどうなんでしょう。水で水をすくうような。永遠にらちが明きません。
「強い」とは。メンタルのことだとしたら、「切り替えが早い」「切り替えがスムーズ」ということなのではと感じます。
自己否定はいけないのでしょうか。私は何とか自己否定から立ち上げてみようと思います。自己否定を基本として。
これは物語です。論文でも論考でもエッセイでもありません。いや、何でもいいのです。虚構ということです。虚構の力のなんたる強いことか。望むと望まざるとに関わらず。
「言葉」がそもそも虚構なのでしょうか。すべては「物語」だと思います。いや思えていないのです、実際。
虚構にどっぷりとはまりこんでいます。
だから私は走ります。虚構を吹き飛ばすために。完全に無駄な努力です。絶対に吹き飛ばすことなどできないでしょう。
フィジカルで、肉体の動きで、虚構をねじ伏せたいのだと思います。でも無理なのです。どんなに速く走ろうと、どんなに息を切らそうと、どんなに心拍数を上げようと。
それでも走ります。無駄な努力だとしても走ります。何かあるんです。所詮「言葉」でしかないものの外側に何かが。実感も達成感も獲得感も得られない領域なんだと思います。でも何かそちらにひきつけられる感じがあるのでしょう。「そちら」が一体どこなのかはわかりません。探したり考えたりすると結局抜け出せなくなるのです。
「依存」、「逃避」、言葉ではその他色々な表現があるのでしょう。
この文章も自己愛的な匂いがぷんぷんと漂ってきています。
なぜ、文章など書くのでしょう、私は。これはこれでまたひとつのテーマです。
とにかく私はまた走ります。意味も利益もメリットもあると言えばあるし、全くないとも感じます。でもそういうことではない、とも感じます。「言葉」ではどこまで行ってもらちが明かない、そういう領域があることを教えてくれました。
ランニングが。